日記 パート2 (手術から退院まで)


(2月19日の手術日から2月25日の部分は体力回復後の2月26日以降に思い出しながら書きました。また2月19日から2月22日のICUの部分は項目ごとにその4日間の内容をまとめて記載しています。)

手術へ:
hellosensei
19日朝、当初予定より少し遅い午前10時にストレッチャーで手術室に移動開始。仰向けになっていて天井が後ろに移動してゆく。その時、大変失礼ながら、デジャブ―の如く往年のアメリカのTVドラマのベン ケーシー(古い!)のオープニングの映像を、ふと思い出してしまった。クリック下さい(N先生ならご存知と思うけど、Y先生、T先生はどうなかぁ。Yさんはご存じですよね。)

横にいる妻から声をかけられる。見ると、手術室の一歩手前まで来ていて、ここからは彼女は入れない模様。

妻と別れ、いくつかのドアを通り手術室に入る。指示あり自分から手術台に移動。点滴の管(留置針)を腕に挿入してもらっている間に麻酔のガスマスクを口元にあてられる。ガスを口から吸入(匂いがあるので鼻からは吸わないようにアドバイスされた)。吸うごとに意識が遠のく(眠くなる感じ)。5-6回吸った。(以降は意識なし)

ICUで目覚めてから:
麻酔から覚めた直後 声をかけられ かすれた声しか出なかったが、はいと答えた。即手術が終わった事認識。心臓がしっかり動いている事が分かった。気分が高揚する。なお、それら以外のICUで目覚めた直後の事を、なかなか思い出せないでいたら、手術から2週間後、私より一日早くICUに入っていたYさんから、私は麻酔から覚めた直後、手の指を一本ずつ折ってみるようにと言われ、左右の指共指示通りに折っていた、とお教えいただく。そう言えばそうだった、とその段階で思いだす。

今、手術から2週間たって、改めて整理すると、麻酔から覚めた直後、そこ(ベッド脇)にいらっしゃった方々から声をかけていただき、それにて安堵感を覚えた事ははっきり思い出せます。しかし、その時の皆さんの画像は全く記憶にありません。画像で覚えているのは、右それから左の自分の手の指を折っている時の大写しのそれぞれの手のシーンみです。(私の手のシーンは上記のYさんとの会話がなかったら思い出せていなかったでしょう。)

Yさんはご自身の麻酔から覚めた時に指示に合わせ体を動かし、どなたから声をかけられたかは覚えていらっしゃったが何時頃であったかは覚えていないご様子。病棟に戻ってから同室になったTさんはICUの事はほぼ全て覚えていらっしゃらないとの事。この日記でICUの部分を日毎に分けなかったのは、記憶が断片的で、どうしても時系列に思いだせなかったからですが、特に麻酔から覚めた直後の状況を細やかに覚えているのはやはり身体的に困難な模様。

ICU

ICUの1日目(手術日と同じ)は、夜になったから寝なくては、との時間の認識なく、寝たり、起きたり、水をもらったり、体を動かしてもらっている間に、いつの間にか2日目の朝になっていた。

ベッドで背もたれの部分を上げてもらい、起き上がったら、目の前の大きな窓から生駒山系が見え、景色が心地よい。この様な状況判断を多少余裕をもって出来たのは術後2日目になってから。しかしベッドの背もたれを使っても起き上がった姿勢を維持できず、寝たきりの姿勢でいるのが一番無理がない。

この寝たきり状態の身にとって、痛みを感じず自由に動かせる手は希少価値あり。右手の人差指にパルスオキシメータ―(動脈血の酸素飽和度モニター)がテープで固定してあったので、指を動かしてその発光部の赤い光の動きを目で追ってみる。暗がりでは特に幻想的。

これも2日目だったと思うけど(看護師さんから見て、私の状態が多少落ち着いてきたからと思うが)テレビを観ますかと聞かれハイと答えると7インチのワンセグTVを持ってきてくれた。

ICUでの(術後直ぐの)痛みと体の自由度:
私の場合、大きく息したら痛く、げっぷをしても痛く、咳をしたらかなり痛い(喘ぐような激痛ではない。涙は出ないが多少声は出た)。やはり痛いのは、胸を開き、胸骨を縦に切開し、心膜を切り、心臓へのアクセスルートになった部分。よって胸から遠い、足や手のひらは動かしても痛くないが、胸に近い腕を動かしたり、胸を圧迫する動きになる寝返りなど姿勢の変更はきつい。

なお、患者の体には多くの管が挿入されていて、自由勝手に動くと外れてしまう事もあり、体の自由度はかなり限定的。

そういう中、ICUでは体のベッド内の移動や姿勢の変更は一切看護師さんに依頼する様に言われる。ナースコールボタンはなく一言声をかければ即対応してくれる。加えて、痛みは個人差があるので本人が希望したら痛み止めとバストバンド(胸に巻きつけ固定し、不用な動きを止めるもの)を与えてくれる。私の場合ICU滞在中に自分の判断で痛み止めを2回飲んだと記憶する。これで痛みが完全に無くなるわけではなかったが、痛みに対してかなり鈍感にしてくれた。なお、バストバンドは胸の締めつけが苦痛で途中で外してもらった(後から考えるとバストバンドの圧で痛かったのを苦しいと感じていた。)。

つまり、あまり動かず、息を静かに行い、姿勢の変更は全て看護師さん依頼して、自分の判断で(どれだけ痛いかは本人しか分からないので)必要に応じ痛み止めやバストバンドをお願いしていれば、痛みはそんなに気にせずにすみ、また体に挿入されたり、くっついているもろもろの装置が外れてしまう様な事もなかった。

なお痛みを感じやすい人は筋肉が多い人との事。よって男性、それも若年層がそれにあたる。(あくまでも簡単な比較ですが、後で戻った病棟の病室(5人部屋)では、50代の私は一番若かった為か、他の患者さんよりも頻繁に痛み止めをもらっていたのは確かです。)

ICUでの水分補給:
水分は手術の前の日の夜から採っていなかったので、のどが渇くが、身体の状況に合わせて、まずは濡れたスポンジで口にふくましてくれる程度。でもうまい。 その後多少砕いてある氷を複数口に入れてくれるようになり、その後は水ないし麦茶になる。これらも体が水分を欲しているのでうまく感じる。

ICUでの食事:
事前説明で、心肺を止め、人工心肺を使いながらの手術であるが、同時に胃の活動も止まる、と聞いていた。その為か術後直ぐには食欲はなかった。手術当日(ICU初日)の夕飯は通常の心臓病用食事でご飯の代わりにおかゆが出た。全ての品をほんの一口ずつのみだが食べる事ができた。ICU3日目の朝食時には、看護師さん方から聞かれ、ロールパン2つをトーストにしていただいた。まだ食欲は無かったが、この時術後初めてパンをほぼ完食できた。おかずはまだ半分ほど残ししていた。結局食欲が回復したのは病棟に戻って少したってから。

妻の後日談:
blaming

手術当日午後2時半に手術終了との連絡を待合室で受けICUに通される。夫の体から多くの管が出て寝ていた。まだ容態は安定していないので、早くても夕方の5時までは待機しておく必要ありとの事。預かっていた夫のメガネをICUに持っていったが、看護師さんから夫はまだ周りを見る余裕はないので、明日持ってくるようにと言われた。容態安定したとの報告を午後5時過ぎに受ける。次の日ICUにて面会。まだ何もできない体で、かわいそうに大人しくしていると思っていたら、管だらけの体のくせに、ここは何でもしてくれるので心地いいとか、憎まれ口をたたくし、なんやこいつは、と思った。

一般病棟へ:
2月21日(木曜日)に一日早く手術をされたYさんが病棟に移動。患者はICUからはベッドに寝たまま病棟に移動するが、移動開始前にYさんがベッドに寝たまま私のベッド近くまで来られ、先に行くご挨拶と励ましの言葉をいただく。同日夕方に、明日2月22日の金曜日に私も病棟に移動する事になった、と聞かされる。

ICUで思った事(体験からくる考え):
ICU
今回の経験で認識したのはICUは全く自分では何もできない状態の手術直後の患者を想定している事。赤ちゃんが生まれてきたときの扱いと同じ。それを基準として体勢・システムは組んでおき、どこまで患者が己の能力と置かれた環境を意識できるか、要求を伝達できるか、指示が認識できるか、それらの状況がどう変わってゆくかを看つつ、接し方は看る側で判断、的な事をしている。ICUから戻ってきた患者さん数名に聞きましたが、前述の通りどなたもICUの特に初日の事は細かく覚えていらっしゃらないとの事。通常の身体状況でない事がここからも分かります。

よってICUでは身体的に何もできない事は恥じず、要求は素直に行い、言われるがままにしておけば、良し。身を任せよう。それを無理に自分で行えば、痛みを感じ、体に取りつけられている、もろもろの管や装置が外れることにもなり、良い事はひとつもない。身を任せよう。いつの間にか身を任せてしまっている、とも言えますが。(ICUや、特に一般病棟に戻った直後は、自分と周りの状況を客観的に把握できる前に、良かれと思ってどうしても必要以上にがんばろうとしてしまう方がいらっしゃる模様。私も若干(?)そうであったかも。)

ICUで体に挿入ないし取りつけてあったもの:
2月22日の朝、病棟に移動する前に、私の体に差し込まれていたり、取りつけてあった以下の物をY先生が抜いたり、外してくれた。これにていかにICUにて重装備に集中医療していただいていたかがイメージできる。なおこの全貌を把握できたのはICU2日目の夜だったと思う。それだけ、体や姿勢に変更に負担がかからない所を選んで、取りつけていただいていたとも言える。

ICUから出るときに抜いたり、外したもの: 病棟に戻った段階でまだ挿入されたり、取りつけてあったもの:
2月22日(金)朝10時~
早く食べれる様になるぞ

早く食べれる様になるぞ1

朝10時半に一般病棟にベッドにて移動開始。途中、ICUのスタッフから暖かい声をかけていただく。
病棟に帰ってきた本日はトイレ以外はベッドで過ごすとの事。なおリハビリ初回のプログラムがトイレへ行くこと。 これが割と大変。複数の点滴と自動点滴装置をしたままその装備一式(車輪付き)と一緒にまだ可動域が徹底的に限定されている体を移動させるのですが、はたから見れば通常の動きに比べ100倍ほどスローであったのでは。いずれにせよ、ふらついて倒れる事もなくできました。なおこの様に常時多くの点滴を自動点滴装備で行う事は病棟に戻って数日で終え、その後は朝夕の点滴と錠剤に変更となりました。

病棟に戻ってみると、起き上がる行為はベッドの背もたれを上げて、それを利用して試みても痛い。全般的に体勢の変更が痛い。常時しているホルター心電計は、立ったりベッドから離れる時には首から下げるがそれを重く感じ、胸の痛みが増す(これは、500ページほどの文庫本の厚さをそのままに一回り小さくした容量、ないしPhone4Sが4つ分の容量、と言える)。依然笑うと胸が痛む。深呼吸レベルまで胸を広げる事ができない。そして咳はもっと痛さを感じる。かがむのは胸を圧迫するので痛い。ベッドであぐらをかいて座ってみるが、これも(背中側でなく)胸の側に負荷がかかるので、直ぐに寝そべってしまう。

結局、何をしていても、いつの間にかベッドで寝ている姿勢に戻っている自分に気づく。これが一番心地いい。痛みをそんなに感じない。

手術で一旦切った部分は縫い合わせてあり、胸骨も固定してあるので、過激な負荷がかからない限り自分から動くことにより切り口が広がる事はないとの事。だから、痛みを感じない範囲で体を動かす様にしていれば心配ない。なお、ゴルフスイング的な体のねじれが入っている運動は胸骨が固まるまで3カ月禁止との事。

ICUではそんなに食欲なく、よって便意もなかったが、やっともようしてきた。まだ量は少なく、ちょっとゆるい。きばったら痛むので力がまだ入らない。

いざトイレへ

トイレに移動中の私です(笑)。
実際には、もっと重装備で、この絵にプラスして、後4つほどの点滴とその量を管理する自動点滴装置がそれぞれについていました。
なお首からはポッシェトのようなものに入れたホルター心電計もぶら下げていました。


2月23日(土)
昨晩は就寝時間後の暗闇の中で、不覚にも軽いげっぷをした拍子に、うーと唸ってしまった。それも2回。周りに申し訳ない。 寝返りも痛い。

妻が来た時に、彼女が座っている左を向いてベッドに寝ながら(=痛くない姿勢で)しゃべっていたが、体の肩甲骨あたりが痛くなったので、試しにデイルーム(テーブルや椅子、TVが置いてあるラウンジの様なパブリックスペース)で座ってしゃべってみるが、今後は胸側が痛む。結局部屋にもどり、先ほどとは逆の右向きで寝そべる。妻には合わせてベッドの左にあった椅子ごと右に移動してもらった。手を伸ばすと胸が痛いので、TVのリモコンを手の延長として活用。 笑っても痛い。妻の勧めで我慢しないで、痛み止めを服用する。これは前の日は我慢してもらわなかったもの。8時間効くとの事。

Y先生からバストバンドはした方が良いと言われたので、それも装着。

なお妻には家からPC用外付けマルチディスクドライブを持ってきてもらう。これにてY先生から貸していただいたクラシックのDVDを再生予定。

なお、毎日ある採血は、早朝5時に行い、その結果は朝いちに先生方の手に渡り、その日の治療や処方などの判断に使われてる。
体重 69.2kg

2月24日(日)
早く良くなって行きたい所
良くなって行くぞ

今日は息子が時間の関係で面会可能になる午後1時には妻と一緒に来るのでそれに合わせ早朝に痛み止めを飲む。予定通り1時に妻と息子到着。元気だから心配ないと言ったら、どうみても元気に見えないとの事。息子はバイトがあり滞在時間5分で帰った。彼からはテルマエ・ロマエの1から4巻の差し入れあり。

Mさん、Tさん、Aさんも来訪。私は元気にしゃべっていたと思っていたが、後日Aさんから、あの日はしんどそうだった、との事。

痛み止めを飲んで元気にしていても、どこか無理をしていることは皆さん分かるみたい。

昨夜Y先生から貸していただいた朝比奈隆のDVD(ブラームの曲の演奏シーン付き)を楽しむ。視聴する体勢は寝そべりながら。これが唯一痛くなく長時間耐えれる姿勢。今までゆっくりブラームスの交響曲群を聴いたことが事がなかったのでありがたい。また体調上まだパッシブにしか娯楽を楽しめない身にこのソフトはうれしい。

体重 69kg

2月25日(月)
誕生日を初めて病院で過ごした。バースデーカードを病院からいただく。妻からはケーキよりヘルシーなイチゴ大福と乾し柿。 妻の冗談で笑うと胸が痛い。笑わせるな、と言いながら笑えている自分がうれしい。 痛み止めを2回飲む。

リハビリの進捗良く、本日から病棟を離れて病院内なら歩いて良いとの事。運動の一環で、件のホルター心電計を首からぶら下げつつ(フリースの下になるので見えないが)、B1の売店まで行ったが何も購入せず。立ち読みが苦痛。店舗の棚をゆっくり見る余裕もない。

なお、リハビリとはこの病院では、初回のトイレ行きの後は病棟内の廊下を指定回数歩き、その前後の血圧の差が一定以内に入っていれば次の段階に行ける(徐々に回数が増える)、というもの。

体重 67kg
2月26日(火)
今日で手術から1週間。

朝の5時ごろに痛み止めをもらう。以降は飲まず結局これが痛み止めを飲んだ最後となった。 その夜はその為まだ痛みは感じたが、なんとか我慢できるところまで来ている。

本日からやっとノートパソコンに入力する気が出るまで体力回復。しかしまだ座る姿勢を保つのは超短時間。よって入力は寝たまま曲げた膝にパソコンを置いた体勢で行う(そこまでして、やる?)。

今までは立つ事だけでも苦痛であったが、それが多少可能に。同じく件のホルター心電計を首に下げる事が負担にならなくなってきた。しかし立つ事に加え、それ以外の動き(例えば、腕をいずれかの方向に伸ばしたり、かがんだり)を同時に試みると痛みあり。

レントゲンに初めて歩いてゆく。その帰り、Yさんとデイルームで談話。

Yさん曰く、「外科病棟は明るい、なぜならみんな手術をして良くなってゆくから。」。

確かにここではみんな痛みや不安と戦っているが、良くなる為に来ている。良くなるぞとの希望があるから、痛みにも、不安にも耐えている。特に術後1週間以上の人は体力も回復しつつあり、回復の実感も得てきているので、不安の部分が徐々に安心と希望に変わってくる。そして会話が弾み始める。希望があり、苦労と喜びを共有できる所は明るい。

午後運動と気分転換の一環で売店へ。メンターム薬用クリームとフリスクスを購入。

体重 67kg 採血、レントゲンに加え 心電図をとる。
2月27日(水)
早く食べれる様になるぞ

早く食べれる様になるぞ1

本日はICUから病棟に移った時からの日課であった採血とレントゲンが初めてない日。

午前中に術後からしてあった胸部の縫い目の上のガーゼをとり、抜糸。縫い目は綺麗との事。胸に目をやると胸の真ん中に縦に傷が一線。 縫い目の下の部分は、まだおなかにペースメーカー用のワイヤーが2本差し込まれてあり、その上にガーゼがしてあるので、隠れていて見えない。よって縫い目の全貌は後日。

今後この縫い目を人に見られる可能性があるのが温泉等々だろうけど、ちょっと目立ちそう。

同じく午前中に洗髪所で髪を洗ってもらう。看護師さんに待ってもらっていたので洗髪所まで意識なく普通の速度で歩いてしまったが、これがリハビリ中の身にはちょっと効いたみたい。息は荒れていなかったが、今までに経験のない感覚の倦怠感が徐々にきて、尾を引く。1-2時間横になる。

大丈夫だと自分を励ます。

継続される朝の体重測定で65.6kg。強力な利尿剤の為か体重がよく落ちている。説明によるとまだ水がたまっているので利尿剤は継続との事。 

筋力も落ちているのではないかなぁ。ふくらはぎが多少たるんできている様子。

初めて全く痛み止めを飲まなかった日となったが、昨晩とは違い今朝以降はベッドで起き上がる動作を、左に重心をかけながら行うと痛みをあまり感じないでできる。逆の右重心で起き上がると、まだ無理をしてはいけないと思える痛みを感じる。

運動と気分転換の一環で売店へ。歯磨き粉を購入


夜7時からロビーでピアノコンサートを楽しむ。病棟を離れられるリハビリ段階に入っていて良かった。

ピアノコンサートのパンフレットにジャンプ

体重上記通り 65.6kg  エコーとCTを撮る、体拭きあり

2月28日(木)
病棟に戻ってから順調に進んでいた心臓リハビリの最終プログラム(病棟をゆっくり3周し、その前後の血圧の差が一定の基準内の収まる事)に合格。 明日以降は血圧を測らなくてよいが午前・午後にそれぞれ3周は毎日続けるのがルール。しかし通常のスピードの歩行はまだ無理の状況。売店まで運動がてらゆき、残枚数が少なくなってきているテッシュを一箱購入。

術後初めて、ほぼ前向きにベッドで起き上がる事ができたが、感じた痛みから判断してまだ無理をしている。咳をしたら胸に強い痛みまだまだあり。逸る気持ちはNG、と自分に言い聞かせる。

Yさんからおすそわけのイチゴをいただく。

妻は毎日来てくれていますが、日記にその事を書くのはこっぱずかしいのでほぼ全て割愛。感謝しています。

体重 65.4kg。昨日はなかった採血とレントゲンあり、ワーファリンを飲んでいる時の食事方法等につき説明あり

3月1日(金)
ベッドにて1

昨晩は前の晩よりまだまだ痛みがあった様な気がする。なぜかなぁ。我流で以下のの様な分析を行う。
術後の痛みは単純に徐々に引いてゆくものではなく、かなり複雑。切り口や骨の治癒が進むと可動域が広がり新たに到達した体の部分の痛みを感じる。また一部の痛みが弱くなった時、今まではそれに隠れていた別の痛みが顕在化する、などが起こっているのでは。一か所にピンポイントで作った傷では痛みの去就は予想しやすいが、今回の手術の場合、合計で何針縫っているか不明だがとにかく”たくさん”である事は確か。それが複雑な“痛み回路”を形成しており、そのどこかが日々治癒され状況が変わってゆく。。。。俺は何をやっているんだ!(ハマカーンのまね)こんなにきりのない、細かい分析はやめ、総合的な痛さの軽減を素直に喜ぶべし!

しかし、今、立っていたり、歩いたりしている己の姿勢を鏡で看ると猫背になっている事が気になる。これは痛みを感じない範囲で体の伸びを留めているから。ラジオ体操の“胸を大きく伸ばして”的な姿勢の可動域を100%とするとまだ10%かなぁ。手術直後と比較すると見違えるような治癒レベルと感じる(ちゃんとノートパソコンに向かってキーボードをたたけているし)が。ま、焦らないで、粛々とやるべき事をこなしてゆくのが今の私の置かれている立場。

2月27日のCTとエコーの結果は“完璧”との説明をY先生から聞く。人工弁が完璧に動いている事が確認できた、との意味!

後は朝晩の点滴(抗生剤)が不用となった段階で退院との事。そのタイミングを聞くも、それはまだ不明。もともと入院時の説明では入院は4週間(28日間)以上との事だった。本日でまだ16日目。まだかかりそう。とにかく順調。よしよし。

今日から、内服剤は自己管理になった(内服剤は病棟に戻って途中から処方されていたが、本日までは飲み時間に必要数が配布されていた)。

体重 65.4kg (昨日と変わりなし)  採血・レントゲンなし

3月2日(土)
hohoho

朝Y先生から点滴は念のため月曜日までは継続するとの説明があり。退院日の明示はまだ無し。朝ホルター心電計が外された。これで動きやすくなった。

Oさんがお見舞いに。ありがとう。

体重:65.4kg ワーファリン 3錠  本日は採血とレントゲンあり

3月3日(日)
雛祭り クリックしたら拡大できます。


恒例の朝晩の抗生剤の点滴あり。

腕を動かす事はかなり可能に、ただし胴体と連動させた腕の動きは胸のあたりに負荷をかけるので痛い。無理をしている事が分かる。その中、パソコン作業の集中力は徐々に増してきている。短時間だが座った姿勢を維持する事が苦痛で無くなりつつある。

入院からほぼ3週間、山城病院の検査入院から数えるとほぼ4週間経っている。妻と私のふくらはぎを見ながら、以前はおいしそうに見えたが、今はボリューム感がないと分析。

今日はひな祭りなのでばらずしが夕食にでた。フルーツもいつもより豪華。病院の食事を問題なく食べきれるまでになっている。

Aさがお見舞いに。
体重: 64.8kg  ワーファリン 2錠 今日は検査なし。

3月4日(月)
ベッドにて2

昨晩はトイレは3回と行く回数が少なくなった(まだ利尿剤は2種類飲んでいます。)。また比較的よく眠る事ができた。左に寝返りを打った姿勢では胸の痛みがそんなに気にならず、久しぶりにその姿勢でも眠る事ができた。

昼間に感じたことは前かがみなった時の胸の痛みが緩和されてきている事。なお、座ったままの姿勢を割と長く継続できるようになった。60分ほどでベッドで体を伸ばした姿勢に戻してしまうが、いままでに比べればかなりの進歩。

本日は普通の速さで病棟3周(初めて)。多少息切れあったが、以前洗髪所に行った時に感じた様な倦怠感はなかった。明日はもっと長く歩いてみます。

昨日で点滴で投与されていた抗生剤は内服剤に変更。合わせて手術から右手の静脈に入れていた点滴用の留置針が抜かれた(これは、もともと2つ挿入されていたうち残りの一つ。もう一つは病棟に帰ってきてから早い段階で抜かれていました。)。これにて体に挿入されている管はペースメーカーを取りつけるワイヤー(2本)を残すのみとなった。

Y先生からもし水曜日(3月6日)の検査結果が良ければ、早ければ水曜中に退院できそう、との説明あり。まだ確定でないが、予定より順調に回復している模様。妻も一緒にこの話を聞き、どうしてもその後の会話が弾んでしまった。

入院中いろいろ本を読み音楽を聴いているが、今日「永遠の0(戦争、生と死や愛をテーマにした小説)」を読みながら繰り返し聞いていたのはブラームスのピアノ交響曲第2の第3楽章。また、これも以前から好きな曲だがJan Garbarek & The Hillard Emsemble の CD "Officium" に入っている Parce Mihi Domineもこの小説に合う。(CDには3つバージョンがおさめられていて、どれも良いが、あえて言うならCDの頭に収録されているバージョンが良い。)。静かな曲想がしっくりくる。(同じ様に以前バーバーのアダージオが映画のプラトゥーンで使われていた事を思い出す。これにもはまりました。)

なお、本日は実習で一週間私についてくれていたTさんの実習最終日。音楽で多くの人を励ます事もできる立派な看護師さんになられんことを祈っています。

体重: 65kg  ワーファリン 1.5錠 採血とレントゲン、午後に体拭きがあった
3月5日(火)
お花をありがとう クリックしたら拡大できます。


朝、ペースメーカー用のワイヤー(計2本)をおなかから抜き、かぶせてあったガーゼをとっていただく。これで体に挿入してあったものが全部外れた。バストバンドももう不用との事。これで初めて胸の縦の傷の全貌が明らかに。後に鏡で見てみると、傷は左右の鎖骨が接する当たりからおへその上約10cmまで伸びている。

朝は初めて普通の速度の歩行で病棟を6周。今日も多少息があがったが、1週間前にはあった様なレベルの倦怠感はない。午後はもっと歩く計画。

痛みは全般的に緩和されてきている事認識。

午後普通の歩行速度で病棟10周。息が多少荒れる。足の疲れが分かる。

来訪者3名あり。ありがたい。早く良くなります。待っててくださいね。

経理担当の方から説明あり使用した人工弁の登録用書類に住所等を記入。使用している弁は カーペンターエドワーズ社 の 牛心のう膜生体弁マグナEASE TFX との名称。書類にはモデル番号や、製造番号が記載されていた。なお、マグナはラテン語で“偉大な”、とか“大動脈”との意味を持つ模様。

体重: 64.7kg ワーファリン1.5錠  本日検査なし
3月6日(水)
ベッドにて3

夜一回しかトイレにゆかず、尿の量も落ち着いてきた。多少の寝返りが苦にならなくなったのも、頻繁に起きなかった理由と思う。

朝、採血あり、この結果が良ければ退院可能となる。期待が膨らむ。朝の体重測定結果は 64.1kg。

入院後初めてくしゃみをする。胸が痛む。咳をした時より痛い。

朝九時過ぎに本日の退院できる事なったと、正式にY先生から話あり! 借りていたDVDをお返しする。妻に連絡。

退院の為の荷造りが、私にとっては術後では最大の全身運動を伴った為か、疲れてベッドに横になっている時に妻到着。

お世話になった方にあいさつ後デイルームに移動。そこで看護師さんから退院後の自宅療養(および地元の病院(外来)との連携)の方法の説明あり。また、家で飲む薬(計7種)を受け取り、その効用等の説明もうける。

退院のしおりに曰く、「胸の前面にある胸骨を手術の際に切っており、これを針金でとめています。重いものを持つことで胸骨が外れることがあるかもしれません。また血圧の上昇も見られるかもしれません」、「まず身の回りのことから家事さらには散歩と体をならすように。」。また、体をねじる運動は退院後2-3カ月禁止。重いもの(5キロ以上)を持つことも同じ期間だめ。

地元の山城病院のT先生宛ての診療情報提供書を預かる。

リストバンドを外してもらい、午後1時前に退院。

久しぶりに外気と直射日光を浴びつつ、車まで歩く。多少ふらつきあり。妻の運転で病院を後にする。

皆さん! 皆さんのおかげで治療に専念でき、無事退院、家に戻ってきました。本当にありがとうございます。

thanks



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